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ているわけではない。そこにはおのずから「青少年教育施設」としての範囲と限界があるわけである。それゆえ、入所してからの活動にどのようなスタンスを求めるかということは青年の家の側が決めることではなく、利用者が個々に決めるべき問題である。受け入れる我々の側が利用者のさまざまに異なる活動内容に対し、どのように柔軟に対処していくかということがむしろ求められる。
いわば、単線(画一的・マニュアル的利用)から複線、複々線化(柔軟な、団体に合わせた利用)ともいうべき発想の転換が必要である。
以前の青年の家に多かった利用の仕方は、“観光バス型”とでも言うべき方法であった。つまり、決められたコースを定時に決められたように走るという形であった。青年の家が用意したプログラムを、決められた手順でこなしていくという手法が中心であった。これからは、先程述べたように、“柔軟な、団体に合わせた利用の仕方、利用者の自主性にゆだねる方法”を考えていって欲しい。いわば、“マイカー型”とでも言うべき方法である。
むろん、一部の時間にルーズな団体の状況を追認したり、他の団体に迷惑をかける可能性に対し目をつぶるということではないが、「なすべき仕事を日々努めれば良いのだ」という発想ではなく、利用者ヘサービスすることが職員の努めであるといった、「業務からサービスヘ」の方向性が望まれる。

 

第5条 たまリ場機能をつくれ
青年の家は、わが国に古くからあった「若者宿」「娘宿」の伝統を引いている。この起源は室町時代末期にさかのぼると推定されているので、今から四百年も前の話である。民俗学の世界では13歳から15歳を境に「子供」と「大人」を区分するようであるが、「フンドシイワイ」「ユモジイイワイ」などといった成年式・成女式をへて、とりあえず子供は一人前とされる。そこで彼らは家を出て「ネヤド」(「若者宿」「娘宿」の総称)へ行き、そこで寝泊まりをするわけである。食事は実家に世話になるが、夕食をとると「ネヤド」に戻って泊まり、また朝食をとりに実家に行き、そこから農作業なり漁なりに出かけるという生活をおくった。
「ネヤド」は数人の仲間と共有した共同生活の拠点であり、食べる・寝る・遊ぶ・仕事をする・風呂に入るなどの機能を持っていた。男女同宿の場合も男女別の場合も共に存在したが、男女は互いの「ネヤド」を訪問しあい、つまりは、ここで配偶者を見つけるという機能も果たしていた。
前置きが長くなったが、青年の家のルーツとも言える「若者宿」「娘宿」の機能は脈々として青年の家に受け継がれていると感じられるようである。本来、「ネヤド」は若者の生活の場でもあり、“たまり場”でもあった。そこに行けばホッとするような場所として存在し、存続していたのである。現代の青年の家も、この機能を持つことが肝要である。一つには町の若者の“たまり場”としての機能、もう一つは、青年の家の中での“たまり場”の機能である。それも従来型の研修棟の一角に設置されたロビーのようなものではなく、現代青年の傾向も十分に考えた快適性やカッコ臭さを備えたサロンや、酒落た雰囲気で味わう軽食・喫茶コーナー(この場所でのアルコールの提供も含まれる)などが考えられる。
現代青年の「快適さ指向」の流れの中で、生活関連施設のグレードアップが求められてい

 

 

 

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